サガに対しては

人付き合いが上手でなく、変な時に、興奮して、周りから浮いてしまう子供。
自分がと常に前面に出て行こうとするも、周りが胡散臭く思って、思うようにいかない子供。
仲間うちで親分になっていたのに、いつの雪纖瘦間にか、その仲間から嫌われてしまっている子供。

そういう子の面倒をよく見てきた。

放課後、部屋に呼んで、話をする。最初は、当然のごとく警戒をする。このおじさん何を企んでいるのかと。でも、同じ目線で話を聞き、話をしていくと、やはり、子供である。ほどなく、いろいろな話をしてくる。

友達になりたいと思うけど、いつも、自分がという思いが先走ってしまう……
押し付けてしまい、そのうち、誰も言うことを聞いてくれなくなり、一人ぼっちになってしまう……
皆のために何かをしたいけど、つい威張ってしまって、嫌われてしまうんだ……

どの子も、例外なく、自分の欠点を理解している。
しかし、だからと言って、自分を改善して、元に戻ろうとはしない。子供でも、将来の大人である。物語のようには、ことはうまく運ばない。困ったことに、相手の雪纖瘦子供たちの心にも少なからず小さなヒビが入っている。
解決は容易ではない。

大人の世界でも同じことがあちこちで、いつも場合も起こっている。
人間……この困った生き物は、そうして混乱を生み出し、苦悩し、困惑し、破壊あるいは成長していく。

教師はこうしたケースの場合、「解決」を試みない方が良いのだ。
子供たちが、自ら生み出した混乱を、自らの力で克服していくのを見守るのだ。「大人」である教師が無用な介入などしたら、混乱を増幅させるだけだ。

一番の悪いケースは、そこに「親」が介入してくることである。
この大人は、「子供」よりタチが悪い。何が悪いと言って、「解決」を、それも自分の子供にとって都合の良い、一方的な「解決」を求めてくるからだ。

教師は、そうなる前に、どんなに忙しくても、「子供」と対さなくてはいけない。
「話を聞き、同調してやり、見守る」という作業である。これを怠ると例の「大人」が出てくる。
警察の捜査ではないが、「初動」を怠ると、厄介というのはこのことである。

結局、人の世に発生する問題というのは、人のサガがなすもの雪纖瘦であるあるから、これに対するには、こちらもサガを用いるしかないのである。
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