似た者夫婦

「奥様、どうやら殿下がお帰りのようですよ」
黄昏時の庭院で冷茶を飲んで休んでいた雪舞は、団扇をあおいでくれる小翠の一言に嬉々として立ち上がった。
「まことに?」
「ええ。たった今、馬の蹄のexuviance 果酸音が聞こえましたから」

「小翠はとても耳がよいのね!」
うだるような暑さの中、日がな動き回っていたせいで少々バテ気味だったことも忘れて、喜色満面の蘭陵王妃は無邪気な少女のように駆け出した。雪のように白い裳裾をたくし上げて、板敷きの中道をまっすぐに駆けてゆく。あっという間に二つの朱塗りの鳥居をくぐり抜けたかと思うと、細い両の腕を大きく広げた。その身体が刹那、ふわりと宙を舞う。危ない──。つい叫びかける小翠の目に、門から颯爽と現れた主の姿が映った。彼は目を見開きつつも、両手を宙に差し出して、飛びかかってきた天女を胸にしかと抱き留めた。
「お帰りなさい、殿下!」
「ただいま。雪舞、これはまた随分な出迎えだな」
蘭陵王・高長恭は愉快そうに笑う。いまだ抱いたままの妻の白い額に、情を込めて口付けをした。相も変わらず人目もはばからぬ仲の良さ。ほの朱い目元を細めて、雪舞もお返しとばかりに夫の頬に唇を寄せる。斉国一の鴛鴦夫婦とも評される二人の睦まじい姿に、団扇に隠れて小翠はこっそり微笑んだ。

「はい殿下、口を開けて?あーん」
夕餉の席。卓子に並べられた料理を箸で取り、雪舞は甲斐甲斐しく長恭の口元へと運んでいる。長恭も蕩けるような目をして、同じことを妻にしている。家令も侍女もみな平生のことなので、諌めるでもなくもはや微笑ましく見守るばかりだ。文武百官を従える有能な尚書令も、ひとたび王府に戻れば人並みの愛妻家と化す。
「きみとこうして食す夕餉は、如何ような美食にも劣らぬな」
「またまた、殿下ったらおだて上手なんだから」
まんざらでもない雪舞は翡翠の匙で粥をすすりながらはにかんだ。長恭はその口の端を指でぬぐってやりながら、家令に向き直る。
「私が留守の間、万事恙無くあったか?」
家令は隣の暁冬と、それから正面に座る小翠と顔を見合わせた。晋陽に赴いていた主が王府を留守にしていたのは数日ほど。報告すべき問題が一つあるとすれば、今日奥方の雪舞が夏バテに罹ってしまったことだ。侍女達がとめるのも聞かずに炎天下のもと、庭院の草を刈ったり厨【くりや】に詰めたりしていたせいだろう。されど奥方は夫に心配を掛けることを好ましく思わない。とはいえ主に虚言を伝えることもはばかられる。さてどうしたものか、と考えあぐねる家令を長恭はじっと見つめた。
「皆、揃ってこの私に隠し事をしておろう?」
「な、何を言っているの」

雪舞が目を泳がせる。嘘を付くことが大の苦手なのだ。確信を得た長恭は不敵に笑った。
「夫に隠し事とは、まことけしからん」
「隠し事などしていないわ!」
彼の人差し指がむきになる雪舞の唇にそっとあてがわれた。それ以上口を開けば墓穴を掘るだろう。雪舞は慌てておしゃべりな口を閉じる。長恭がいたずらっぽく片目を瞑る。
「雪舞よ、今夜は心して臨むことだな。きみがその口で真実を語るまでは、決して寝かせはせぬぞ」
きゃあ、と控えていた侍女達が堪えきれずにほてる頬を抑えた。家令と小翠は、今夜も入念に閨の支度をしなければと目配せをした。料理に集中するふりを迪士尼美語 評價する暁冬は、こそばゆくてしきりに鼻を擦る。
その夜の月はよりいっそう輝いて見えたという。
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